映画  PICKPOCKET 『スリ』
09/12/201414:52 Yusuke Kenmotsu
TV5MONDE12月放送映画『スリ』
 
スリのラスコーリニコフ

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1959年のロベール・ブレッソン監督作品。彼の作品は『抵抗(1956)』以降職業俳優を使わず、演技経験のない素人を採用し、極端に感情表現を抑えた作風が特徴的である。そして出演者を「俳優」と呼ばず「モデル」と呼び、自らの作品を「映画」ではなく「シネマトグラフ」であると主張していた。様式化されたフォルムで無駄なものが極限まで削ぎ落とされ、登場人物の孤独を冷たく淡々と描くブレッソン作品は、一つの作品を超えて映画そのものについて考えを巡らせるきっかけとなるだろう。
 
映画の冒頭、『スリ』というタイトルや監督、キャストのクレジットが出る前に字幕が出る。「本作は刑事ものではない。映像と音である青年の悪夢の表現を試みている。彼は自分の弱さに負けスリという冒険を行う。この冒険が奇妙な道筋を経て結びつける二つの魂はこの冒険なくして出会う事はなかった」というもので、これは本作のほぼすべてを要約している。

本作は主人公ミシェル(マルティーノ・サウラ)という貧しいインテリ青年がスリという行為にのめり込んでいく様を描きながら、その彼の視線と手とその先にある物とを凝視する映画であり、たまに入る彼の抑揚を欠いたモノローグで状況が説明される。

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ミシェルはただ貧しいからスリを行うのではない。彼は友人や刑事に対して「聡明で才能豊かで天才的な人間は法を犯す自由もある」という独自の理論を展開する。本作は下敷きとしてフョードル・ドストエフスキーの「罪と罰」があるので、ミシェルは他人のポケットから財布を掠めとり、腕から高級時計を抜きとるだけで、老婆を殺すようなことはないのだけれど、存在としてはラスコーリニコフなのだ。ミシェルは病弱な母を看病してくれるジャンヌ(マルカ・グリーン)という女性にさえまともに視線を交わさず心を開くことはない。

本作では様々なスリのテクニックを見ることができる。ミシェルはたたんだ新聞を他人の胸に押し当て、その陰から財布を盗むスリを電車の中でたまたま見かけ、家に帰って自室でその技を何度も練習する。その後ミシェルはスリの名人(カッサジ)と出会い技を指南してもらって、彼とチームプレーでスリをするようになる。このスリの名人を演じるカッサジという男は元スリで有名な奇術師でもあった。本作ではスリ技術指導としてもクレジットされている。スリの名人がもう一人仲間を加え3人体制でスリを働くようになると、その妙技はより多彩になり超一流のチームスポーツを見ているようだ。とりわけ3人のスリが連携プレーを見せながら、駅構内から改札を通り列車の中へと至る一連のシークエンスは、スリという行為の生み出すサスペンス性を最大限に活かした美しい場面である。
 
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主人公がスリである以上、いつかは捕まってしまうだろうという察しは誰にでもつく。そして実際捕まった時、本作のヒロインであるジャンヌには幼い赤ん坊がいて、赤ん坊の父親は逃げてしまっていた。ミシェルは面会に来たジャンヌに対して未だに伏し目がちで「面会はイヤだ。なんで来た?」などと言ってしまう。それから3週間ジャンヌが現れず、ミシェルはやっと自分のジャンヌへの想いを知る。
久々に現れたジャンヌに対して、鉄格子ギリギリまで寄って、それまでは自分の手か盗むべき物にしか向けなかった視線をジャンヌに注ぐ。そして鉄格子越しではあるけれど冒頭の字幕の通り、二つの魂が結びつくのだ。本作はスリに明け暮れるミシェルが、ジャンヌへ至るまでの奇妙な回り道の純愛を描いた青春映画としても観ることができるだろう。
 
放送日:12月9日(火)夜7:15
再放送:12月13日(土)夜11:10

1982年生まれ。京都市在住。 古今東西の映画や国内外の映画祭を愛す。 フランス映画に惹かれたきっかけは、印象派絵画の巨匠オーギュスト・ルノワール の次男坊という興味で観始めたジャン・ルノワール監督作品との出合いから。 人生の悲喜交々を、自然や天候と戯れるような大らかさや女優たちへの少しばかり 淫らな視線、画面の構図、色彩感覚といった父親譲りの才能で描き出された彼の 作品群で映画の歓びを知る。 フランス映画以外ではアメリカのフィルム・ノワールや西部劇が特に好み。 映画検定一級取得。

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