映画  MARIE HEURTIN 『奇跡のひと マリーとマルグリット』
06/09/201812:30 Yusuke Kenmotsu
人の肌に触れて理解する
 
2014年のジャン=ピエール・アメリス監督作品。アメリス作品では少女に焦点を当てた作品が多く見られる。日本で初めて紹介された『デルフィーヌの場合(1998)』はデルフィーヌという15歳の少女の淡い初恋の話が、次第に性を売り物にする話に転調する衝撃的な作品であった。また『ベティの小さな秘密(2006)』では10歳の少女が精神病院から脱走してきた青年と出会い、秘密の交流を深める物語だ。

こうした少女の出会いや冒険のアメリス的物語に新たに加わったのが本作『奇跡のひと マリーとマルグリット』である。本作における少女の特徴は、少女マリーの目が見えず耳も聞こえないということだ。マリーを演じたアリアナ・リヴォワールは実際に耳が不自由で演技未経験ながらアメリス監督に見出され、見事な演技を見せている。彼女を役柄の上でも懸命に支えるマルグリットを演じるのは実力派女優イザベル・カレ。アメリス監督とは『匿名レンアイ相談所(2010)』でもコンビを組んでおり信頼の高さがうかがえる。アリアナ・リヴォワールのサポート役としても最良のキャスティングだろう。
 
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目が見えず耳も聞こえず話せないという三重苦の少女とその少女を懸命に教育する女性の物語といえばヘレン・ケラーとアン・サリヴァンが有名だ。映画ファンにはアーサー・ペン監督『奇跡の人(1962)』を思い浮かべる人も多いだろう。
本作『奇跡のひと マリーとマルグリット』はヘレン・ケラーの物語と同時代にフランスで実在人物や出来事を映画化しており、「もう一つのヘレン・ケラー物語」と呼ばれている。
 
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聴覚障がいの少女たちが暮らす修道院に、父に連れられて14歳の少女マリー(アリアナ・リヴォワール)がやってきた。彼女は目も耳も不自由で教育を一切受けておらず、野生児そのものであった。コミュニケーションをとるどころかその糸口すら見出せない中で、修道女マルグリット(イザベル・カレ)はマリーの「魂」に惹かれ教育係となる。

目も見えず耳も聞こえないマリーと激しぶつかり合うマルグリットはまさにヘレン・ケラーとサリヴァン先生のようだ。見ることも聞くこともかなわないマリーとコミュニケーションをとる唯一の方法は相手に触れること、触れ合うことである。初めはほとんど暴力と言っていいくらいのぶつかり合いが次第に柔らかくなっていく。マリーは父親にやっていたのと同じように、マルグリットの顔をベタベタと触る。両手を使って丁寧にマルグリットの顔を触れるこの行為は、マルグリットをマルグリットとして認識するための記憶法であり、相手の存在を認める身振りでもある。

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マルグリットもなんとか言葉を教えようと奮闘する。いろんな言葉の手話を伝えるが、言語という概念のないマリーにはなかなか伝わらない。8カ月もの訓練の末に覚えた最初の一語は「ナイフ」だ。親元を離れる際に小さなころから大事にしていたということで、マルグリットは母親から折りたたみナイフを預かっていた。このナイフがヘレン・ケラーにおける「井戸の水」のように最初の言語になるのだ。
言葉やコミュニケーションの概念を理解したマリーは学習意欲が湧き、どんどん言葉を覚えていく。肺に病を抱えていたマルグリットは自らの死期を察したように、マリーに言葉だけでなく生きることの素晴らしさを伝えていくのだった。
 
本作のマルグリットが目の見えないマリーに教える手話は触手話と言われるもので、相手の手を操ってまさに触れ合っておこなわれる手話である。
手話を習得したマリーが最後に見せるマルグリットへの感謝の言葉は、彼女の身振りを含めた全てが美しい。そしてそれをカメラ(マルグリット)は天使のような優しさで見守るように上昇し、本作は静かに幕を閉じるのだ。
1982年生まれ。京都市在住。 古今東西の映画や国内外の映画祭を愛す。 フランス映画に惹かれたきっかけは、印象派絵画の巨匠オーギュスト・ルノワール の次男坊という興味で観始めたジャン・ルノワール監督作品との出合いから。 人生の悲喜交々を、自然や天候と戯れるような大らかさや女優たちへの少しばかり 淫らな視線、画面の構図、色彩感覚といった父親譲りの才能で描き出された彼の 作品群で映画の歓びを知る。 フランス映画以外ではアメリカのフィルム・ノワールや西部劇が特に好み。 映画検定一級取得。

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