映画  PARIS LA BLANCHE 『白い街 パリ』
06/06/201812:16 Yusuke Kenmotsu
48年間の出稼ぎ男とその妻
 
2017年のリディア・テルキ監督作品。アルジェリアに生まれた彼女は小さいころにフランスに渡り、長い時間をパリで過ごしている。短編や電子音楽についてのドキュメンタリーを撮った後本作『白い街 パリ』で長編デビューを果たす。

長編デビュー作はその映画作家のすべてがつまっているとよく言われるが、本作におけるリディア・テルキにもそれは当てはまるだろう。アルジェリアで暮らす女主人公がパリにいるはずの夫に会いに行くという物語は、彼女にしか撮ることのできない珍しい味わいの作品である。

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アルジェリアのカビール地方に暮らす女性レキア(タサディット・マンディ)はパリに出稼ぎに行っている夫ヌール(ザイール・ブズラール)に会いに行く決断をする。出稼ぎといってもその期間が48年というのだから途轍もない時間である。彼と会ったのは4年前が最後で、毎月送られてくるお金もここ数カ月途絶えており、夫の身を案じて出発に踏み切ったのだ。

家族が集まる話し合いでも、ヤツは俺たちを裏切ったのだ、という者がいるほどで、夫ヌールの長き不在と音信不通に何があったのかがこの作品の肝となる。

ほとんど町の外に出たことのないレキアにとってパリへの旅路は並大抵のことではない。レキアの表情は冴えないがカビールから山間を抜けてアルジェに向かうバスからの風景は新鮮だ。アルジェからマルセイユに向かう船上で見えるカスバの街並みは「北アフリカのパリ」と呼ばれるに相応しい美しさである。本作のタイトルもアルジェが「白い街」と言われていることに関係があるのだろう。

マルセイユからは列車に乗りパリへと向かうレキア。いつも送られてくる手紙の住所から夫のアパートを探すが、そこには現在夫は住んでいなかった。大きな荷物を抱えた長旅と夫の不在で途方に暮れ、レキアは通りに倒れてしまう。彼女を介抱し家に泊まらせてくれたのは、カフェで働くタラ(カロル・ロシェール)であった。タラの助言もあり役所の社会福祉課を訪れたレキアはついに夫ヌールの居所をつきとめ、再会を果たすのだ。
 
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本作はレキアがアルジェリアからパリに行き、夫に会って故郷に一緒に帰るよう説得して帰っていくという大変シンプルな構造でできている。不在の48年間や2人の出会いなどを説明的な台詞やフラッシュバックを用いて明るみにするのではなく、「今」のレキアに重点を置いているのだ。夫が普段利用しているレストランに入り2人で食事し、パリを散策する。夫との一日を終えたレキアは「今日は人生で最高の日だったわ」と言い、「結婚した日の次にね」と付け加える。そのレキアの表情には確かな愛情とともに、わずかな諦念も見てとれる。久方ぶりに会った夫は紛れもなくレキアの夫である。しかしほんの僅かなことにレキアは違和感と時間の隔たりを覚えていた。例えば夜寝る際、客として来ている妻にベッドを譲り、自分は床にマットを敷いて寝ると言い出した夫、当然の優しさのようでありながら、レキアが知っている夫の振る舞いは本来どうであったかといったところである。

そういった隔たり、つまりラストを予告するかのシーンはパリの散策の場面ですでに見ることができるだろう。仲良く2人でセーヌ川のほとりに立ってはいるが、カメラはレキアを捉えるとヌールの、ヌールを捉えるとレキアのピントが合わず常に片方がぼやけており、近くて遠い彼らの距離感を暗示しているようだ。

シンプルで静かな物語の中で、画面に映ること以上のものを想像させるレキアの表情やまなざしがいつまでも印象に残る作品である。
1982年生まれ。京都市在住。 古今東西の映画や国内外の映画祭を愛す。 フランス映画に惹かれたきっかけは、印象派絵画の巨匠オーギュスト・ルノワール の次男坊という興味で観始めたジャン・ルノワール監督作品との出合いから。 人生の悲喜交々を、自然や天候と戯れるような大らかさや女優たちへの少しばかり 淫らな視線、画面の構図、色彩感覚といった父親譲りの才能で描き出された彼の 作品群で映画の歓びを知る。 フランス映画以外ではアメリカのフィルム・ノワールや西部劇が特に好み。 映画検定一級取得。

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