映画  LE DOS AU MUR 『絶体絶命』
25/09/201700:48 Yusuke Kenmotsu
埋めるな、危険
 
1958年のエドゥアール・モリナロ監督作品。キャリアの後半、とりわけ『オスカー(1967)』あたりからコメディ作品が多くなるモリナロ監督だが、監督デビューして間もない頃は犯罪映画を多く手掛けていた。『殺られる(1959)』や『彼奴を殺せ(1959)』といった初期犯罪映画の秀作はソフト化されていたものの、長編第一作の『絶体絶命』は日本ではソフト化されておらず、今ではなかなか目にする機会のない作品であった。
キャストでいえば本作の前年に公開された『死刑台のエレベーター(1957)』で一躍脚光を浴びたジャンヌ・モローがここでも犯罪を誘引するような危険な女を演じている。

相手役のジェラール・ウーリーは後に『大追跡(1965)』や『大進撃(1966)』などを手掛ける大ヒット監督となる人物で、当時は演者のほうが多かったようだ。エドゥアール・モリナロとの関係でいえば、『絶体絶命』の翌年に撮ることになる『彼奴を殺せ』では脚本を担当することになる。
 
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この作品は出だしからフィルムノワールの雰囲気たっぷりで素晴らしい。トレンチコートにソフト帽という1940~50年代のアメリカの犯罪映画でお馴染みの出で立ちで、真夜中のパリに車を走らせる男が本作の主人公のジャック(ジェラール・ウーリー)だ。彼は1人である家に入っていく。真っ暗な家の中を、ライターを光源に進み部屋に入ると、男の死体が横たわっている。これをカーペットで包み、部屋にあったネクタイで縛って運びだす。このとき洗面台で生前男が使っていたと思われる電動シェーバーの稼働音がジージーと無機質に響いており不気味だ。ジャックは自らが社長を務める会社まで死体を運び、自分でセメントを捏ねて壁の中に埋めてしまう。

誰が殺したのか、そしてこの死体は誰なのかが提示されぬままジャックは車で自宅へと向かう。そしてジャックのモノローグで「話は3ヵ月前にさかのぼる」という声が入り、物語は過去のことが描かれていく。この形式もビリー・ワイルダー監督のフィルムノワール『深夜の告白(1944)』でお馴染みの文法だ。本作の場合、運命を狂わせる女ファムファタールの存在や、コントラストがはっきりしたシャープなモノクロ映像、警察ではなく私立探偵の暗躍といった、そもそもジャンルとして朧げな輪郭しか持たないフィルムノワールの条件を数多く満たすお手本のような映画である。
 
 
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妻グロリア(ジャンヌ・モロー)が若い役者志望の男ノルマン(フィリップ・ニコー)と浮気しているのに気付いたジャックは復讐というよりも、彼女をもう一度振り向かせようと、ある計画を実行する。それはジャックが別の人物(職場で最近亡くなった男)になりすまし、浮気を夫にばらされたくなければ20万フラン支払えという脅迫状をグロリアに送ることであった。

もちろん計画通り事が運ばないのがフィルムノワールの魅力で、ジャックの焦れる様子が面白い。ライター、電話、パスポート、写真、紙幣の番号、電動シェーバーといった小物もそれぞれ意味がある使い方をされている。例えば後半である人物が外出しようと身支度を始め、髭を剃ろうとすると、映画を観ている誰もが冒頭との繋がりに気づくだろう。

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アメリカの犯罪映画を思わせるような緊迫した構成の中、私立探偵の妻が夫に向けて愛嬌たっぷりに「他人の奥さんばかり追いかけてないでたまには私を見なさいよ」という台詞が映画に心地よい風を送り込むようで印象に残る。

家の中やバーでの画面の縦関係の構図(ジャックの家では手前に電話とグロリア、奥に階段があり、階上にドア、そこにジャック)やかなりの仰角での撮影など、画そのものの美しさや面白さに注意を向けると本作はより一層楽しめるだろう。
 
 

 
1982年生まれ。京都市在住。 古今東西の映画や国内外の映画祭を愛す。 フランス映画に惹かれたきっかけは、印象派絵画の巨匠オーギュスト・ルノワール の次男坊という興味で観始めたジャン・ルノワール監督作品との出合いから。 人生の悲喜交々を、自然や天候と戯れるような大らかさや女優たちへの少しばかり 淫らな視線、画面の構図、色彩感覚といった父親譲りの才能で描き出された彼の 作品群で映画の歓びを知る。 フランス映画以外ではアメリカのフィルム・ノワールや西部劇が特に好み。 映画検定一級取得。

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