映画  LA FILLE PRODIGUE 『放蕩娘』
29/07/201616:52 Yusuke Kenmotsu


寄る辺なきヒロイン、受け止める父


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ジャック・ドワイヨン監督による1981年の作品。ドワイヨン監督といえばなんといっても、『ポネット(1996)』という4歳の少女を主演に迎えた心優しい感動作が有名だ。「死」という概念すらない少女が母親の死を理解し、それを乗り越えていくというヒューマンドラマで、ポネットを演じたヴィクトワール・ティヴィソンにはヴェネチア国際映画祭の女優賞が与えられた。

それ以降もドワイヨン監督はコンスタントに作品を発表しているが、近作は日本ではほとんど劇場公開されることなく、映画祭など特殊な上映に限られていた。その中には『放蕩娘』の主演ジェーン・バーキンとドワイヨン監督との間の娘ルー・ドワイヨンが主演の『アナタの娘(2012)』など注目作も少なくない。そして日本での劇場公開は19年ぶりということで去年話題になったのが『ラブバトル(2013)』だ。サラ・フォレスティエとチャップリンの孫ジェームズ・ティエレによる愛のバトルは、セックスをするような親密さで殴り合いの格闘をし、殴り合いの格闘をするような大胆さで泥まみれのセックスをする。これまでは会話や表情、視線などで人物の感情を繊細に描き、特に女優を裸以上に赤裸々にむき出しにしてきたドワイヨン監督が、肉体と肉体のぶつかり合いを正面から描いたフィジカルな映画という新境地を開くような作品であった。



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『放蕩娘』はドワイヨン監督の長編第5作目で、『家族生活(1984)』『ピューリタンの娘(1986)』へと続く父と娘3部作の1本目である。

この作品の主人公アンヌ(ジェーン・バーキン)は映画の始まりからすでに精神が不安定で沈んでいる。米国映画ならその原因が明確に示されそうな人物設定であるが、フランス映画では、そしてドワイヨン作品では無駄な状況説明はない。しかし浮かない顔をした女性が陰影に富んだ室内に佇んでいるアンヌの登場シーンで、彼女の寄る辺なさを簡潔に見て取れる。実際このオープニングの室内シーンには夫もいるのだけれど、2人の位置関係や視線のずれ、表情などから彼女が孤独であるのは明白だ。



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この寄る辺なきヒロインは両親のいる田舎へ帰っていく。木々の緑いっぱいの中、明るい陽の光を浴びていても、彼女には密室にいるような閉塞感が漂っている。そんな彼女を受け止めるのが彼女の父親(ミシェル・ピコリ)だ。ミシェル・ピコリの誠実さと胡散臭さが同居したような存在感がこの映画にはぴったりで、包容力や寛容さの影に、なにが起きても不思議ではないという危うさや不道徳が垣間見える稀有な俳優である。
母(ナターシャ・パリー)が父と別居するようになると、父の愛人(エヴァ・レンツィ)の存在が明らかになる。このことに不機嫌になったり愛人に執拗にからんだりするアンヌは、父の不貞を咎める娘とも、愛するものを奪われ嫉妬する恋人ともとれるような振る舞いを見せ驚かされる。
 
この映画は父と娘の距離感や関係性がスキャンダラスな作品である。父と娘の「精神的な」近親相関といえば日本の大監督小津安二郎の『晩春(1949)』がしばしば取り上げられ議論されるが、とても上品で『放蕩娘』とは趣を異にする。『放蕩娘』でアンヌは「女性の胸がふくらむのは、その分だけ父親と距離を置くため。でも私の胸は小さいから……」という持論を展開する。『晩春』と『放蕩娘』の違いが原節子とジェーン・バーキンの胸の大きさからくる訳ではなかろうが、様々な愛の形を撮り続けるドワイヨン監督の本作の愛はかなり奇形で興味深い作品である。

 

LA FILLE PRODIGUE 『放蕩娘』
再放送:7月30日(土)26:00、8月1日(月)21:00



1982年生まれ。京都市在住。 古今東西の映画や国内外の映画祭を愛す。 フランス映画に惹かれたきっかけは、印象派絵画の巨匠オーギュスト・ルノワール の次男坊という興味で観始めたジャン・ルノワール監督作品との出合いから。 人生の悲喜交々を、自然や天候と戯れるような大らかさや女優たちへの少しばかり 淫らな視線、画面の構図、色彩感覚といった父親譲りの才能で描き出された彼の 作品群で映画の歓びを知る。 フランス映画以外ではアメリカのフィルム・ノワールや西部劇が特に好み。 映画検定一級取得。

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