映画  LE DOULOS 『いぬ』
02/12/201511:55 Yusuke Kenmotsu

サツのいぬは誰だ
 
1962年のジャン=ピエール・メルヴィル監督作品。原題は「帽子」を意味する言葉で、同時にギャングの隠語として「警察のいぬ=密告者」を指す。『海の沈黙(1947)』で長編映画を初めて撮ったメルヴィルだが、彼の作品の中で、日本で最初に公開されたのは長編7作目の本作『いぬ』である。
ジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ(1959)』が日本で公開されたのは1960年なので、当時の日本の映画ファンはメルヴィルの監督作品よりも、ゴダールに請われて『勝手にしやがれ』に作家役で特別出演したメルヴィル本人の姿の方を先に見ているということになる。ジーン・セバーグ演じるパトリシアから「人生最大の野望は?」とインタビューを受け、「不老不死になって死ぬこと」と人を食ったような返答をするメルヴィルの姿は印象的である。
そもそもメルヴィルという名前は本名ではなく、『白鯨』という小説で有名なハーマン・メルヴィルからとっている。彼は第二次大戦中に改名しているのだけれど、対独レジスタンスとして地下活動を行っていた経歴を考えると、そういった活動のためのコードネームのようなものだったのだろう。
 
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ヌーヴェルヴァーグの兄貴分というような存在で、誰よりも早くから自主製作で映画を撮り始めたメルヴィル作品には独自のスタイルと美学がある。彼の代表作というなら『サムライ(1967)』や『影の軍隊(1969)』など色々あるのだけれど、スタイルと美学が最も凝縮されているのは間違いなく本作である。裏切りというテーマで複雑なストーリーでありながら、説明を極力排しているため難解な印象を受けてしまうかもしれない。そして作り手もあえて観る者を混乱させるような作り方をしている。
例えば、序盤でモーリス(セルジュ・レジアニ)がジルベール(ルネ・ルフェーブル)という男と訪ねる場面がある。2人の会話から彼らは仕事仲間であり、モーリスは以前4年間刑務所に入っていたことや、今夜強盗を計画していることが分かる。まだ映画にはこの2人しか登場していない段階で、会話にレミ、シリアン、ヌテッチオ、テレーズ……と人物名がポンポンと出てきて混乱を招くのだ。そしてモーリスは強盗の時に使う銃をジルベールから借りる。モーリスは借りたその銃で、突然ジルベールを撃ち殺してしまう。唐突すぎて何が起こっているのか、1度観ただけでは分かりづらい。なぜ殺したのか明確な理由は明かされないのだけれど、モーリスはジルベールの部屋に入る前に、割れた鏡で自分の顔を見る。ほとんどのメルヴィル作品で見られるこの鏡を見るという行為は、映画においては人物の内面との対話を表すことが多いのだが、その鏡が割れている意味やモーリスの表情を考えながら鑑賞するのもメルヴィル作品の秘かな愉しみだろう。
 
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『いぬ』は誰もが楽しめるエンターテインメント作品とは一線を画しているのだけれど、楽しめるか楽しめないかを判断するリトマス試験紙的な場面が、映画の冒頭にある。作品やキャスト名が出ているファーストカットでトレンチコートにソフト帽というスタイルのモーリスが両手をポケットに入れたままトボトボと歩いている。カットを割ることなく、カメラは後退移動しながらずっとモーリスと一定の距離を保ったままだ。高架の下で光が入らず画面が真っ暗になっても、暗いままモーリスは歩いている。この歩みは数分間持続するのだけれど、このシーンで退屈に感じたり、何も思わなかったりというのであれば、本作を観続けても感動は薄いだろう。
逆に、この男がずっと歩くだけのシーンに何らかのざわめきを覚えたなら、『いぬ』は映画的興奮を味わえる最高の作品となるはずである。
 
主人公のシリアン(ジャン=ポール・ベルモンド)は暗黒街の仲間たちから、いぬの疑いがかけられている。本作でのシリアンの初登場シーンも味わい深い場面である。シリアンはモーリスのいる家を訪れる。モーリスがドアを開けると外にはシリアンが立っていて、それが初登場なのだけれど、室内と外の光の具合でちょうどシリアンの上半身が影で隠れていて顔が見えない。シリアンがドアを閉め、モーリスのいる部屋までやって来て初めてベルモンドの顔が認識できるのだ。主人公の初登場シーンで顔が見えないなど、本来なら撮影ミスのように感じるだろう。しかし顔が認識できないというは、終盤での命にかかわる伏線になっているのだ。見えないという事を観客に見せるメルヴィルの粋な演出である。
 
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メルヴィルの美学という点では、シリアンが警察に連れて行かれ、刑事たちの尋問を受けるシーンは見逃せない。椅子に座ったシリアンに対し、刑事(ジャン・ドサイ)が部屋をくるくると歩きながら質問している。これがなんと9分強の超絶的な長回しなのだが、そうと気付かない程度の自然さで、物語に溶け込んでいるのに驚かされる。
 
『いぬ』は誰がサツのいぬかというストーリーの裏切り者のサスペンスやメルヴィルタッチが随所に味わえる作品だ。とはいえ当時のスターベルモンドが単純な裏切り者を演じるとは考えにくい。ベルモンドもそういう気持ちで脚本を読んでオファーを受けたのだろう。しかしベルモンドは完成した作品を試写で観て「くそ、いぬか! この俺は」と叫んだそうだ。メルヴィルが語っているこの逸話の真偽のほどは別として、なぜベルモンドは脚本では気付かず、映画を観ていぬと思ったのかという事も、頭の片隅に置いて鑑賞するのもいいだろう。
 


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1982年生まれ。京都市在住。 古今東西の映画や国内外の映画祭を愛す。 フランス映画に惹かれたきっかけは、印象派絵画の巨匠オーギュスト・ルノワール の次男坊という興味で観始めたジャン・ルノワール監督作品との出合いから。 人生の悲喜交々を、自然や天候と戯れるような大らかさや女優たちへの少しばかり 淫らな視線、画面の構図、色彩感覚といった父親譲りの才能で描き出された彼の 作品群で映画の歓びを知る。 フランス映画以外ではアメリカのフィルム・ノワールや西部劇が特に好み。 映画検定一級取得。

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