映画  À bout de souffle 『勝手にしやがれ』
17/11/201510:09 Yusuke Kenmotsu

生々しいパリ、飄々としたベルモンド

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1959年に製作され1960年公開のジャン=リュック・ゴダール監督作品。映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」で批評家として活躍していた人達が、それまでのフランス映画界の「良質な伝統」を打破すべく映画を撮り始め、その影響は外国にまで波及するほど大きなものとなった映画運動ヌーヴェルヴァーグ。数多くあるヌーヴェルヴァーグの作品の中で、代表作1本だけ挙げるとするなら本作『勝手にしやがれ』になるし、代表的な監督を1人だけ挙げるとするなら間違いなくジャン=リュック・ゴダールになるだろう。

ヌーヴェルヴァーグ以前のフランス映画はパリが舞台の映画であっても、いくつかの例外を除いて、美術監督やカメラマンの熟練の技術によって、スタジオのセットでパリを再現していた。こういった伝統的なフランス映画をカイエで批評家時代のトリュフォーやシャブロル、リヴェット、ゴダールといった連中は徹底的に批判し、反対におおらかでかつ生々しくパリを映画で描いていたジャン・ルノワールやジャン・ヴィゴといった監督たちを擁護することによって、自分たちがその後映画監督としてデビューする際の歩むべき道を、事前に準備していたのだ。
 
長編処女作を撮ろうとしていたゴダールはまだ若く、監督としての実績がなかったので、プロデューサーから資金を集めるのが難しかった。ちょうどその頃といえばカイエ出身のクロード・シャブロル監督が『いとこ同志(1959)』でベルリン映画祭金熊賞を、フランソワ・トリュフォー監督が『大人は判ってくれない(1959)』でカンヌ映画祭監督賞を獲得していた時期であったので、『勝手にしやがれ』では国際的な認知度の高まっていたこの2人の名前を、原案フランソワ・トリュフォー、監修クロード・シャブロルといった具合に借りて作られている。
                                                                                       
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本作の主人公ミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)はソフト帽を被り、ハンフリー・ボガート(『カサブランカ』や『アフリカの女王』でお馴染みの米国俳優)のポスターを見つめ親指で唇をなぞりながら「ボギー」と呟く。これはチンピラ男ミシェルの、フィルム・ノワールの英雄ボガートへの憧れを示すとともに、映画への、とりわけ米国映画への愛の表明となっている。これはヌーヴェルヴァーグの一つの特徴であり、ほかの監督の作品でも米国映画の露骨な引用やオマージュを捧げるシーンは数多く見られる。本作ではサミュエル・フラー監督の『四十挺の拳銃(1957)』の構図を真似たり、ミシェルが入る映画館で上映している映画がバッド・ベティカー監督の西部劇であったりと、ゴダールらしい渋い引用が発見できる。
 
ミシェルはマルセイユで自動車を盗み、パリへ向かう。その間に追ってきたバイクに乗る警官を撃ち殺してしまい、逃避行が始まるのだ。本作でゴダールはでき上がった本編の尺が長すぎるということで、滑らかな繋がりを無視してカットをそれぞれ切って強引に尺を短くしていった。本来の映画文法ではつなぎ間違いと言われるような編集は、ジャンプ・カットと呼ばれるようになり、映画に独特のリズムをもたらしている。実際この映画の並々ならぬ疾走感や、原題が示すように後半での「息切れ」感はこの編集の効果と言えるだろう。
 
『勝手にしやがれ』が映画史上の屈指の名作として輝き続けているのは、革新的な技術や斬新な手法を用いたからというだけではない。それだけなら時代と共に古くなってしまうだろう。ジャン=ベルモンドとジーン・セバーグという、噛み合っているようで噛み合っておらず、自然なようで不自然な2人の存在が、なんといってもこの映画の最大の魅力である。

ニューヨーク・ヘラルド・トリビューンを売り歩くアメリカ女性パトリシア役のジーン・セバーグとベルモンドが、シャンゼリゼ通りを歩きながら話すシーンでは、ゲリラ撮影をしているので、一般の通行人がすれ違いざまに2人をチラチラ見ているのだけれど、どの瞬間を切り取ってもポストカードにして売れるほどの美しさだ。このシーンでは屋外ロケが一般的ではなかった時代に、シャンゼリゼのど真ん中にカメラがある状態にも関わらず、カメラに目を向ける人がほとんどいないのに驚かされる。それもそのはず、郵便配達用の荷車にカメラを隠して撮影を敢行しているのだ。本作では作り物ではなく、当時の生々しいパリやそこに生きる人々を切り取りながら、愛の逃避行を描いているのである。

犯罪に手を染めてしまう男とその死、美しい女と彼女の裏切りというフィルムノワール的主題をこの若い2人で描くのだから面白くないはずがない。セバーグはサガン原作でオットー・プレミンジャー監督作品『悲しみよこんにちは(1958)』のセシル役やこの時の髪型セシルカットで有名になっていた時期であった。『勝手にしやがれ』では完璧にはフランス語を話せないアメリカ人の役ということで、しばしば「それはどういう意味?」とベルモンドに訊ねる場面がある。母国語の違う恋人同士のユーモラスな会話でありながら、2人の間にどこかちぐはぐな印象を与え、それがラストでの彼女の残酷なセリフへとつながるのだ。
 
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『勝手にしやがれ』は、ベルモンドが飄々としながら頽廃的な魅力たっぷりに演じたミシェルという役で新しい時代の到来を告げた、ヌーヴェルヴァーグの最重要作品だ。

作家パルヴレスコ役としてオルリー空港でパトリシアたちからインタビューを受けるジャン=ピエール・メルヴィル監督(『いぬ』『サムライ』『仁義』等)の出演シーンも、映画ファンにとっては必見である。
 

À bout de souffle 『勝手にしやがれ』
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1982年生まれ。京都市在住。 古今東西の映画や国内外の映画祭を愛す。 フランス映画に惹かれたきっかけは、印象派絵画の巨匠オーギュスト・ルノワール の次男坊という興味で観始めたジャン・ルノワール監督作品との出合いから。 人生の悲喜交々を、自然や天候と戯れるような大らかさや女優たちへの少しばかり 淫らな視線、画面の構図、色彩感覚といった父親譲りの才能で描き出された彼の 作品群で映画の歓びを知る。 フランス映画以外ではアメリカのフィルム・ノワールや西部劇が特に好み。 映画検定一級取得。

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